船底塗料に革新! 独自のナノ技術で環境負荷も燃費も軽減―第56回日化協技術賞 環境技術賞 日本ペイントマリン【受賞技術から見える未来】
2024/11/14地球温暖化防止に向け、さまざまな分野で二酸化炭素(CO2)排出量の削減が進められています。船舶についても例外ではなく、エンジンや燃料など、各要素の脱炭素化が求められています。この問題に「塗料」の面から切り込んでいるのが、船舶用塗料の開発・製造において140年以上の歴史を持つ日本ペイントマリンです。同社の最新塗料「FASTAR」は業界初のナノドメイン構造を有した樹脂を採用しており、環境負荷の低減と運航コストの削減に大きく貢献します。その性能と影響力が高く評価され、第56回日化協技術賞「環境技術賞」を受賞しました。
船舶への生物付着を防ぐ「船底防汚塗料」
海上輸送に使用される船舶は、数年間もの長い期間を海で過ごします。ここで問題となるのが、船底への海洋生物の付着です(図1)。大型タンカーでは、船底1平方メートルあたり半年で150kgもの生物が付着するといわれています。大量の生物が付着すると、船が進む際の摩擦抵抗が増えて燃料の使用量が増加します。これは、航行コストおよびCO2排出量の増加につながる深刻な問題です。

図1:船底に付着する代表的な生物
(画像提供:日本ペイントマリン)
上記の問題を防ぐために船底に塗られるのが、「船底防汚塗料」です。船底防汚塗料の内部には「防汚剤」と呼ばれる薬剤が配合されており、銅イオンなどの防汚成分を含む亜酸化銅などが格納されています。船底防汚塗料が海水に触れて加水分解されると内部の防汚剤が露出し、続いて防汚剤から銅イオンなどの防汚成分が海水中に放出されます(図2)。この防汚成分の作用で、海洋生物の付着が抑制されるという仕組みです。

図2:加水分解型船底防汚塗料の防汚メカニズム
(画像提供:日本ペイントマリン)
しかし近年、防汚剤が海洋環境に与える影響への懸念から「防汚剤の溶出量低減」が求められるようになってきました。さらに、脱炭素化の流れから、燃料使用量を抑え、低燃費化に貢献する塗料が要求されるようになりました。
これらの「防汚剤の溶出量低減」「低燃費化」という要求に応えるべく、日本ペイントマリンが開発したのが、「FASTAR」と呼ぶ船底防汚塗料です。
独自のナノドメイン構造で環境負荷を減らす
FASTARは従来型の船底防汚塗料と同等以上の性能を保ちつつ、防汚剤の溶出量を最大50%減らすことが可能です。
この技術革新の秘密は、FASTAR独自の「親水・疎水ナノドメイン構造」にあります。

図3:FASTARと従来型塗料の塗膜表面の比較。走査型プローブ顕微鏡拡大写真。FASTARには、ナノサイズの親水部(白い部分)と疎水部(黒い部分)が点在したナノドメイン構造が形成されている
(画像提供:日本ペイントマリン)
船底防汚塗料では、塗膜表面に露出した防汚剤が海水と接触することにより防汚成分が溶出されます。しかし、従来型の船底防汚塗料のように親水部が地続きに広がっている構造(図3右写真)では、親水部内の防汚成分が塗膜表面にとどまりません。そこで、常に防汚剤を表面に露出させておくために、塗膜の加水分解速度を上げて防汚剤から防汚成分を溶出しつづける必要がありました。このように加水分解速度を上げることで、防汚成分が塗膜表面に残っていても防汚剤が海水中に放出されてしまっていました。つまり、防汚剤を過剰に放出させていたのです。
一方、FASTARの塗膜には、ナノスケールの親水部と疎水部が点在しています(図3左写真)。この構造だと、親水部の周りを疎水部が囲んでいるため、防汚成分は親水部から過剰に出ていかず塗膜内部にも保持されます。つまり、加水分解速度を上げて防汚成分を過溶出させる必要がなくなるのです。これにより、防汚剤の溶出量を大幅に低減させることに成功しました。
このように、加水分解速度が遅く長持ちするFASTARでは、船底に塗る際の膜厚を従来の2割以上、減らせます。その結果、塗装工程におけるCO2排出量も削減できるのです。
凹凸ありきの技術で水流を平滑化、燃費低減に貢献
FASTARは、船舶の低燃費化にも大きく貢献します。この鍵となるのが、「ウォータートラッピング」と呼ばれる、へこみ修正技術です。

図4:ウォータートラッピング技術。膜の凹部にウォータートラップレイヤーを形成することで、水流を平滑化させる
(画像提供:日本ペイントマリン)
この技術では、塗膜中にヒドロゲルを形成する成分を添加します。すると、塗膜の海水接触時、塗膜の凹部分にヒドロゲルの層をつくることができ、水流を平滑化させられます。これにより海水との摩擦抵抗が減少するため、燃費を最大8%、低減できるのです。
日本ペイントマリン技術本部副本部長の鍛治弘一さんは、「他社では、最初から平滑な塗膜を形成しようとする場合が多いようです。対して弊社のウォータートラッピング技術は、塗膜に凹凸があるという前提で、航行中に水流を平滑化させる点が独特だと思います」と話します。
FASTARは、発売から約3年間で1000隻以上に導入されています。鍛治さんによると、これは非常に速いペースだそうです。
「従来型塗料からの切り替えが非常にスムーズに進んでいると感じます。今後も実績船数は伸びつづける見込みです」(鍛治さん)
「材料の変更」がFASTAR誕生の転機に
防汚剤の溶出量低減や低燃費化など、環境面・コスト面でメリットを持つFASTAR。しかし、その開発は一筋縄ではいかなかったと、FASTARの開発を担当した技術本部の大内元気さんは振り返ります。
「FASTAR開発における第一の目標は、防汚剤の溶出量低減でした。これを実現するため、過去の樹脂技術をベースに配合量をいろいろと変えたのですが、なかなかうまくいかず……。上司から何度も差し戻しを受けました」
塗料の開発では、大内さんが実施したように過去に実績のある原料への置換や配合量の調整を行うのが開発の常套手段といえます。しかし、それではどうしてもうまくいきません。悩んだ末に大内さんがたどり着いたのが、「使用する材料自体を変更して、塗料の表面構造を変えること」でした。
「思い切って方針を切り替えた後は、さまざまな材料を使用して試行錯誤を重ねました。そしてようやく今回の、親水・疎水ナノドメイン構造を生み出すことができました」
常識を超えるような大胆な発想が、FASTARという新たな塗料を生み出したのです。
FASTARの技術で船舶塗料の可能性を広げたい
防汚剤の排出規制は、今後ますます厳しくなると予想されます。日本ペイントマリンはそれを見越しており、鍛冶さんは「FASTARよりも防汚剤の溶出量を減らせる」または「防汚剤を全く使用しない」船底防汚塗料を開発したいと言います。
「実は数年前にすでに防汚剤を含まない塗料を開発し販売していますが、販売価格が高くなり、広く普及するには至っていません。次回はFASTARの技術をベースに、防汚剤フリーの防汚技術と価格の両面で顧客に満足いただける塗料を開発したいですね」
また、将来的にはFASTARに用いたドメイン構造技術のような表面制御技術を船底防汚用途以外の船舶塗料にも応用したいと、鍛冶さんは意気込みを語ります。
「FASTARの開発を通して、表面構造の工夫により塗料にさまざまな機能を付与できることが分かりました。今後はFASTARで培った技術を多分野の塗料に応用して、船舶塗料全体の可能性を大きく広げたいと思っています。面白い製品が開発できそうで、楽しみです」
大胆な発想で、塗料の常識を覆した日本ペイントマリン。同社が生み出す革新的な塗料は、今後も環境保護など多くの側面で新たな価値をもたらすことでしょう。
日化協技術賞とは
一般社団法人日本化学工業協会(略称日化協)は、優れた化学技術の開発や工業化によって化学産業ならびに経済社会の発展に寄与した事業者を表彰する「日化協技術賞」を設けています。1968年に創設されたこの賞では現在、化学に関連する事業者から業績を公募し、優れた業績に対して総合賞・技術特別賞・環境技術賞の3つの賞を贈り、表彰しています。
太田 真琴(おおたまこと)
サイエンスライター・広報 1988年生まれ、大阪大学理学研究科化学専攻修了。組込み系SEとして就職したものの、「技術を使うよりも技術を伝える仕事がしたい!」と感じて科学系のフリーランスに転向。現在は、サイエンスライターやディープテック企業の広報として活動している。
