VOCフリー・CO₂削減に貢献! 「軟包装水なしオフセット印刷システム」を開発―第21回GSC賞 奨励賞 東レ【受賞者に聞くプロジェクトの秘訣】
2023/05/16
第21回(2021年度)グリーン・サステイナブル ケミストリー賞(GSC賞)の奨励賞を受賞した企業の一つが東レです。これは、「VOCフリー・CO2削減を実現する軟包装水なしオフセット印刷システムの開発」の業績によるもの。同社は軟包装用の水なし平版と有機溶媒を使わず水で洗浄できる水溶性インキ、電子線印刷機を組み合わせたシステムを開発しました。印刷工程で大気汚染の原因となる揮発性有機化合物(VOC:Volatile Organic Compounds)が発生せず、二酸化炭素(CO2)の排出量も削減できます。
始まりは水なし平版
東レは、合成繊維や合成樹脂などを主力製品とする化学メーカーですが、1970年代から印刷材料事業を開始し、1979年には世界に先駆けオフセット印刷用の水なし平版「IMPRIMA」を開発しました。
オフセット印刷とは、凹凸のない平版を使う印刷法の一つで、水と油性インキが反発する性質を使って印刷します。従来のオフセット印刷では、版の表面に多くの「湿(しめ)し水」と呼ばれる水を使ってインキが反発する部分をつくっていました。しかし、湿し水には多くの有機溶媒が含まれるため、有害な廃液が大量に出ることが問題になっていました。
これに対し、同社が開発した水なし平版は、湿し水の代わりにシリコーンゴムを用いてインキをはじきます(図1)。この平版を使うと、湿し水が必要ないので有害な廃液が出ず、また、インキが水でにじまないので高精細に印刷できるなど、多くのメリットがあります。

図1:平版の種類と特徴。水あり平版(左)では有機溶剤を含む湿し水を使うのに対し、水なし平版(右)では、シリコーンゴムを使ってインキを反発させる
(画像提供:東レ)
「みなさんは気付いていないと思いますが、いろいろな印刷に東レの平版が使われているんですよ。この技術があったからこそ、今回の新しいシステムの開発につながったのです」と、同社電子情報材料研究所主席研究員の井上武治郎さんが話します。
環境負荷の高い軟包装印刷の課題解決を目指す
かつて印刷といえばもっぱら紙への印刷でしたが、近年は食品や日用品などの包装フィルムに印刷する軟包装印刷が増えています。凹版印刷とも呼ばれるグラビア印刷や、凸版を用いたフレキソ印刷のような軟包装向けの印刷では、インキや洗浄に大量の有機溶剤を使います(図2)。有機溶剤からは、大気汚染の原因になるVOCが発生し、また有機溶剤の乾燥や排気の燃焼にたくさんの熱エネルギーを使います。温室効果ガスの一種であるCO2も排出し、環境負荷の高いことが問題になっていました。さらに、悪臭が生じるなど、有機溶剤による作業現場の汚染や作業者の健康影響、また火災のリスクなども懸念されていました。

図2:印刷の種類。平版(左)に比べて、包装印刷などに使われる凸版(中)や凹版(右)ではインキが付く部分が多く、インキや洗浄に大量の有機溶剤を使う
(画像提供:東レ)
社会の地球環境保全へ関心の高まりとともに、印刷にも有機溶剤を使わない環境に配慮した方法が求められるようになりました。東レは軟包装印刷のこうした課題解決に取り組むことになったのです。
有機溶剤を使わない方法を開発し、システム化
東レがまず目を付けたのが、すでに開発していた水なし平版です。もともと紙の印刷用でしたが、軟包装印刷用に改良した水なし平板「IMPRIMA FR」を製品化しました。この平板によりオフセット印刷による軟包装印刷が可能になり、有機溶剤の使用量を削減できました。
また、従来のグラビア印刷では金属のロール状の版を使うのでコストがかかり、少量の印刷は向きませんでした。一方、平版では薄いアルミプレートを使うためコストを抑えられ、少量多品種印刷が可能になりました。
「でも、版だけでは課題は解決しません。そこで印刷全体を見直すことにしたのです」と井上さんは説明します。井上さんらはインキメーカーや印刷機メーカーと共に有機溶剤を含まない水溶性インキをフィルムに転写した後、電子線を当てて瞬時に硬化させる印刷方式を開発しました。
こうして完成させたのが、軟包装用の水なし平版と有機溶媒を使わず水で洗浄できる水溶性インキ、それに電子線印刷機を組み合わせた「軟包装水なしオフセット印刷システム」です(図3)。システム化することで、環境に優しいだけでなく、高精細で効率も良くなりました。

図3:軟包装製造プロセスと軟包装水なし印刷システム。水なし平版と水溶性インキ、電子線印刷機を組み合わせた
(画像提供:東レ)
従来の有機溶剤を含むインキを使うと、洗浄にも有機溶媒が必要となりますが、開発したインキは水溶性なので水で洗浄できます。また、電子線で硬化させた後は、フィルム上で固定するのでインキが落ちず、溶剤の乾燥工程も必要ないので熱エネルギーを削減できます。その結果、このシステムでは印刷工程で有機溶剤を使わないのでVOCは発生せず、CO2排出量もグラビア印刷に比べて約80%削減できることが確認されました(図4)。

図4:軟包装印刷におけるCO2排出量の比較。従来法(左・中)に比べ、水なしオフセット印刷(右)への切り替えで大幅に削減できた。EBは電子線(Electron Beam)のこと。日本印刷産業連合会「プラスチック製容器包装」算定基準(PCR)PA-BC-02を参考に東レが試算
(画像提供:東レ)
他企業と連携、コンセプトが形に
2015年に事業化した当初は社内で事業を進めていましたが、インキメーカーや印刷機メーカーと連携することによって印刷システムへと発展しました。
「インキの原料になったポリマーは、もともとエレクトロニクス材料として開発していたものでしたが、軟包装印刷に使えるかもしれないとひらめき、試してみたらうまくいったのです。これがきっかけで軟包装印刷のシステムのアイデアがどんどん浮かんできて、おもしろかったですね」と、井上さんが当時を振り返ります。開発計画を提案し、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO:New Energy and industrial technology Development Organization)のプロジェクトに採択されました。これによりほかの企業との連携や開発が進みました。
「軟包装印刷業界では東レは素材メーカーなので、初めあまり相手にしてもらえなかったです。それでもこの提案はおもしろいと、いくつかの企業が協力してくれました。印刷のこともよく知らないので、一つ一つ他社の職人さんに教わりながら、開発プロジェクトを進めました。走りながら、課題を解決してきた感じです」と井上さんが続けます。
2019年にはコンセプトが完成度の高い形になり、2021年度のGSC賞奨励賞の受賞に結びつきました。この技術が普及すれば、大気汚染や地球温暖化の問題の解決だけでなく、労働環境の改善や防災にもつながると期待されています。
現在では環境配慮に関心の高い欧州などで印刷機が導入され、印刷システムが使われ始めています。日本は実用化を目指している段階です。
「水なし平版は、もともと紙の印刷用に開発したもの。紙の印刷の需要が減っている中、この技術が使われなくなるのはもったいないと思っていました。軟包装印刷として新しい分野に展開できてよかったです。でも、軟包装水なしオフセット印刷システムが社会に役立つのはまだこれから。開発したシステムの普及を目指しつつ、もう一歩先の研究も始めています」と、同社電子材料事業本部主幹の亀井隆幸さんが話します。
いま、世界は循環型経済とも呼ばれるサーキュラーエコノミーの実現に向けて動き出しています。サーキュラーエコノミーでは、製造の段階から資源の回収や再利用を前提とし、消費された製品も再資源化し、循環させます。そこで東レは、印刷工程だけでなく、フィルムがリサイクルできるよう技術開発を進めているといいます。すでに欧州連合(EU:European Union)がサーキュラーエコノミー政策パッケージを打ち出すなど、欧州が先行しています。日本も欧州に追いつくことになるよう貢献したいと、当社は取り組んでいます。
グリーン・サステイナブル ケミストリー賞(GSC賞)とは
公益社団法人新化学技術推進協会のグリーン・サステイナブル ケミストリーネットワーク会議が、グリーン・サステイナブル ケミストリー(GSC)分野の推進に貢献する優れた業績を挙げた個人や団体にGSC賞を贈っています。各賞は以下の通りです。三大臣賞(経済産業大臣賞、文部科学大臣賞、環境大臣賞)。ベンチャー・中小企業賞。奨励賞。うち、文部科学大臣賞は学術の発展・普及への貢献に対して贈られます。GSCは、「人と環境にやさしく、持続可能な社会の発展を支える化学」を追求する世界的な環境運動を指します。
佐藤 成美(さとうなるみ)
サイエンスライター、明治学院大学非常勤講師(生物学)。東京大学大学院農学生命科学研究科修了(農学博士)。食品会社の研究員、大学の研究員、教員などを経て現在に至る。科学の幅広い分野について一般向けの記事のほか、研究所の広報誌やサイトなどにも原稿を執筆している。著書に『本当に役立つ栄養学』『「おいしさ」の科学』(以上、講談社ブルーバックス)『お酒の科学』(日刊工業新聞社)など多数。
