こだわりの配線平滑化技術で5G通信をより快適に――第53回日化協技術賞 技術特別賞 DIC【受賞者に聞くプロジェクトの秘訣】
2022/07/05
連載の目次
- 環境技術賞 花王
- 技術特別賞 DIC
第5世代(5G)と呼ばれる通信規格では、これまでよりも高い周波数帯を用いて通信を行います。高周波帯域ほど生じやすい伝送損失を低減させることは、機器開発における大きな課題でした。この伝送損失低減を実現するのが、DICと太陽インキ製造が共同開発した「高周波対応配線形成用新シードフィルム」です。第53回日化協技術賞(概要は末尾参照)の技術特別賞に輝いたこの技術が持つ可能性について、DIC新事業統括本部の白髪潤さんに話を伺いました。
通信技術を支える、繊細なめっき技術
2020年から国内で利用されはじめた通信規格の5Gは、大容量のデータを超高速かつ超低遅延でやりとりでき、しかも多数同時接続を可能にします。高性能な通信環境を活用するには、通信機器内での情報伝送時に発生する信号損失をいかに抑えるかが重要となります。一方で、新しい通信機器の開発では、小型化・軽量化も同時に実現する必要もあります。
そこで活躍するのが、柔らかいフィルム上に配線をプリントした「フレキシブルプリント配線板」です。

図1:フレキシブルプリント配線板の例。指で曲げられる。細かな配線構造が見て取れる
(画像提供:DIC)
この配線板の製造に欠かせないめっき技術において成果となったのが、DICと太陽インキ製造の共同開発による「高周波対応配線形成用新シードフィルム」です。フィルム基材上に金属めっきを施すには、めっきの足場となる「シード層」をフィルム上に敷き詰める必要があります。第53回日化協技術賞では、独自の技術で生み出した金属ナノ粒子をシード層に用いることで配線板内での伝送損失低減に成功した点が高く評価されました。

図2:高周波対応新シードフィルム(中央)
(画像提供:DIC)
高周波通信では、微細な凹凸が大敵
そもそも高周波帯での伝送損失はなぜ起こるのでしょうか。大きくは、「誘電損失」と呼ばれる絶縁基材の特性に由来するものと、「導体損失」と呼ばれる導体配線側に由来する2種類に分けられます。前者に注目した技術としては、基材として誘電率や誘電正接が低い液晶ポリマー(LCP)、フッ素ポリマーを用いたものがありますが、今回の技術は後者の導体損失に注目したものです。
導体内を流れる電気信号を高周波にするほど、電気信号の伝達されるエリアが導体配線表面に偏る「表皮効果」が顕著に現れます。「5Gで用いられる周波数帯では、導体配線の表層わずか0.5μm程の厚みに多くの電気信号が流れることになります。特に、基材に導体の配線を密着させている境界面にわずかでも凹凸があると、すぐ伝送ロスに直結してしまいます」と、白髪さんは話します。

図3:銅配線/基材界面の凹凸と電気信号の関係。表皮効果が顕著なほど、凹凸の影響は大きくなる
(画像提供:DIC)
凹凸がない方が良いとはいえ、平滑な基材の上に銅をめっきしようとしてもすぐ剥がれてしまいます。既存のプリント配線板では、基材と銅の境界面に微細な凹凸を作り、噛み合わせることで基材と銅を接着させていました。しかし、これでは高周波域での伝送損失を免れません。
これに対して今回開発したフィルムでは、独自開発した高分子密着層を用いることで、基板表面の凹凸が無くても、その基材上の金属ナノ粒子シード層を強固に密着させることに成功しました。この構造のおかげで導体と基材の界面が滑らかな状態のまま、導体配線となる銅めっき膜を剥がれなくすることに成功したのです。

図4:銅配線/基材界面の凹凸を比較。新シードでは表面の凹凸をなくしている
(画像提供:DIC)
さらに、金属ナノ粒子はめっき後の回路作成時にも活躍します。
高い精度が必要となる配線の作成には、これまでセミアディティブプロセス(SAP)という方法が用いられてきました。この方法では、まず、回路の下地となる銅の導電層の上にレジストと呼ばれる保護膜を貼り、露光・現像してレジストの微細なパターンを形成し、そのレジストパターンに沿って銅めっきをすることで配線部分を作ります。次に、レジストを落とし、最後に下地として使用した銅の導電層を溶かすことで配線部分だけを基板上に残します。
「既存のSAPでは最終工程で下地となる銅の導電層を溶かす際に銅の配線部分も溶けるので、どうしても配線が痩せてしまい、配線の表面に凹凸もできてしまいます。今回開発した金属ナノ粒子層を用いた新SAPは、銅とは異なる金属を下地の導電層として使用するため、最終工程で銅の配線が溶けずに配線構造を設計通りの太さで、凹凸なく作り出すことを可能にしました。これも高周波帯域対策として有効な一手になります」

図5:既存工法と新SAPの比較。新SAPでは、表面の粗さがなく、かつ太い配線を実現できる
(画像提供:DIC)
既存より品質よし! 開発者も驚いた測定データの値
実際に伝送損失を測定したデータを見てみましょう。損失が-7デシベル(dB)以下かどうかが、電気信号が効率よく流れている目安になります。まず、現在の5G通信に用いられる「Sub6」と呼ばれる周波数帯ではどの配線でも問題ありません。
一方、5G通信の今後の普及が期待されている「ミリ波」と呼ばれる周波数帯では、配線の種類により差が見られます。新開発の技術で作った配線板は、市販ポリイミドの配線板よりも伝送損失の小ささで優れ、市販LCPの配線板とほぼ同じ性能となっています。では価格面はというと、LCPには価格が高く、加工が難しいという弱点があります。つまり、新開発の技術で作ったプリント配線板は、手に入れやすく、扱いやすいフィルム基材を用いて、品質を大きく向上させたことになります。

図6:基材種類と高周波の伝送損失の関係。高周波域ほど、既存技術との差が大きくなっている
(画像提供:DIC)
もともと別の目的ですでに量産化されていた金属ナノ粒子を高周波帯での伝送技術に応用できないかと開発チームが取り組み始めたのが、2017年ごろでした。
「本業は化学メーカーなので、プリント配線板を加工して電気特性のデータを取るところは素人でした。そのため、技術とデータは一から蓄積しなければならず、社内の技術だけでは手に負えないので、社外にも協力体制を組んで進めました。考えて、試行錯誤して手を動かして、ベンチマークにしていた既存のプリント配線板と比較し優位なデータが出た時は、すごく嬉しかったですね」
フィルムだけでなくリジッド基板にも広がる可能性
日化協技術賞受賞後の反響は、想定よりも大きいものでした。「今回の技術はスマートフォンでの利用を想定したフレキシブルな基板でしたが、お声がけいただく中にはリジッド基板でも同じような技術が実現できたらいいよね、というものが多かったです」と白髪さんは言います。電子機器の中で緑色の存在感を放つリジット基板の市場規模は、フレキシブルプリント配線板の十数倍にもなります。
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図7:リジッド基板
例えば、情報化社会で重要な役割を担うデータセンターでは日々大量のデータを高速で扱います。配線の長さは、スマートフォン内の配線と比較するとかなり長くする必要があります。信号の伝送距離が長くなれば伝送損失も大きくなりますし、もちろん伝送に必要なエネルギー量も増えます。省エネルギーの観点から見ても、リジッド基板での伝送損失を削減することは大きな価値を持つため、いまはリジッド基板での応用を見据えた研究を本腰で進めているようです。
社会課題と技術の交点に眠る価値
開発メンバーには常々「ベンチマーキングをしっかりしよう」と話している、と白髪さんは言います。「自分たちの持つ技術の価値がどれほど優れているのかを知るには、世にある最新の技術と比べて自分たちの技術がどのくらいなのか、相対的に立ち位置を把握していなければなりません。そうでなければ、お客さまに自分たちの持つ技術の価値なんて説明できませんから」。
グループの中で毎月行う報告会では、今後の社会動向を見通して何をベンチマークにすると価値につながるのかを議論しています。「5G以後の通信ではさらに高周波帯域を用いるでしょうし、フィルムでもリジッド基板でも新たな素材は次々登場します。高周波帯域での通信の効率向上は今後もしばらく続く社会課題です。さらなる高周波帯域でも通用する技術を目指して、まだまだ磨きをかけていきたい」。
白髪さんの所属する新事業統括本部のミッションは基礎研究ではなく、自社製品の価値から新しい事業を立ち上げることです。社会に新たな価値を創造するべく、社会課題と自分たちの技術の強みとの交点を、日々探り続けています。
日化協技術賞とは
日本化学工業協会(日化協)は、優れた化学技術の開発や工業化によって化学産業ならびに経済社会の発展に寄与した事業者を表彰する「日化協技術賞」を設けています。1968年に創設されたこの賞では現在、化学に関連する事業者から業績を公募し、優れた業績に対して総合賞・技術特別賞・環境技術賞の三つの賞を贈り、表彰しています。
本田 隆行(ほんだ たかゆき)
科学コミュニケーター 神戸大学大学院 自然科学研究科 地球惑星科学専攻修了(理学修士) 。大学時代の専攻は地球惑星科学。大学院時代に探査機「はやぶさ」理学ミッションに携わる経験を持つ。その後、地方公務員事務職(枚方市役所)・国立科学館勤務を経て、国内でも稀有なフリーランスの科学コミュニケーターとして活動中。展示プランニングや科学実演の実施・監修、大学講師やイベントファシリテーター、サイエンスライティングなど様々な仕事をこなす。著書に「宇宙・天文で働く」(ぺりかん社)
