残留基準値はどうやって決まるの?【化学業界と「農薬」のこれから 第5回】
2021/06/08
この「農薬」シリーズもいよいよ後半に突入しました。前回・前々回に続き、農薬の「安全性」に関する重要なポイントをみていきます。
第3回はこちら:農薬の安全性ってなんだ?
第4回はこちら:化学物質のリスクは何で決まる?
農薬の毒性試験
第3回では、農薬の4つの安全性の柱を紹介しました《①消費者に対する安全性 ②農薬の使用者に対する安全性 ③農作物に対する安全性 ④環境に対する安全性》。評価する対象ごとに、試験項目も細かく設定されています。
例えば「毒性試験」にも、複数の試験があります。《使用者に対する安全》を評価するためには、短期間における多量摂取を想定し、急性毒性の試験が行われます(急性経口毒性試験や急性神経毒性試験など、急性毒性の試験だけでも8項目あります。一覧は農水省HP※1の表3「提出する試験成績」を参照ください)。
急性毒性の試験成績は「急性参照用量」(ARfD:Acute Reference Dose)を決める際にも重要となります。ARfDは、その農薬を短時間(24時間以内)に摂取しても健康に悪影響が出ないと推定される摂取量です。
日本では従来から、農薬の安全性は「一日摂取許容量」(ADI:Acceptable Daily Intake)に基づく長期暴露評価で行われてきましたが、2014年に急性参照用量「ARfD」に基づく短期暴露評価が新たに導入されました※2,3。

《消費者に対する安全性》については、残留農薬による健康への影響を評価するため、中長期的影響を調べる試験(90日間反復経口投与毒性試験成績、発がん性試験、繁殖毒性試験など10項目)も重要です。そこから「人がその農薬を毎日、一生涯にわたり摂取し続けても、健康に悪影響がない」と推定される一日当たりの摂取量として導かれるのが、前出のADIです。“一生”ということは、赤ちゃんのときから、女性なら妊娠中も含むので、生殖への影響や催奇形性なども調べられます。
また、食肉や乳製品など家畜を通じた影響を把握するため、家畜体内での代謝(吸収、分解、排泄、蓄積)についても調べられます。さらに、残留試験の対象を決めるため、環境中(植物、土壌、水)における代謝と最終分解物を確認することなども行われています。
こうした数々のデータから安全性を担保するための「残留基準値」※3が導かれ、この基準を守る限りは、農作物にも、人や動物、環境にも悪影響を及ぼさないことを農薬の登録制度は保証しています。そのため、定められた基準値内において発がん性が疑われたり、体内に蓄積しやすかったりした場合は、その物質は農薬として世に出ることはありません。
100倍の安全係数を見込む
では、農薬等の化学物質のリスクはどのように評価され、基準値が決まるのでしょうか。第4回では、背景にある原理・原則として化学物質のリスクが「有害性」と「量」の比較で定義されると紹介しました。上述のような毒性試験から求めた「無毒性量」と、どの程度その物質に晒されるかを推定した「暴露量」を比較するというのが基本的な考え方です。
無毒性量(NOAEL; No Observed Adverse Effect Level)は「この量以下ならば、有害な影響が出ない最大量」です。大ざっぱな表現ですが、毒性が強い物質でも量が少なければ問題なく、毒性が弱い物質でも量が多ければ悪影響が出る、ということです※4。
そして残留農薬も食品添加物も、食品中にはADI以下の量しか認められておらず “毒にも薬にもならない” 低濃度の範囲でコントロールされています※5。
では、ADIはどうやって決めるのでしょうか。まず、NOAELを求めます。通常は、動物試験において段階的に量を増やして連続投与を行い、その動物が毎日摂取しても全く毒性が認められない限度を見極めます。
仮に、発がん性が確認されないエリアが見いだせない等、無毒性量が設定できない場合(どの量においても何らかの毒性が認められた場合)は、この時点で農薬の候補物質から脱落します。また、無毒性量の範囲で有効性が発揮できない場合も同様です。
種々の毒性試験では、実験動物の種類や評価する項目によって無毒性量(NOAEL)の値に差が出てきます。そこで、すべての毒性試験の結果、最も小さい無毒性量の値を100で割ったものがADIとして算出されます(例えば、発がん性など他の項目より繁殖毒性の影響が生じやすければ、繁殖毒性のNOAELがADIの設定根拠になります)。
一日摂取許容量(ADI)= 最も低い無毒性量(NOAEL)÷ 100(安全係数)
毒性試験はマウスやイヌなどの動物で行われるため、生物種の差を考慮する必要があります。動物実験のデータからヒトへの毒性を推定するには、通常、動物とヒトとの種の差として「10倍」、さらにヒトとヒトとの間の個体差として「10倍」の安全率を見込み、それらをかけ合わせた100(倍)が安全係数として用いられています。

図2.ADI(一日摂取許容量)およびARfD(急性参照用量)算出の流れ(大阪健康安全基盤研究所HPを参考に作成)
ようやく「基準値」が決まる
このようにしてADIは、体重1kg当たり、1日当たりの物質量〔mg/kg体重/日〕で表されます。農薬だけでなく、食品添加物などの安全性指標としても用いられています。
「残留農薬基準」を設定するには、許容量を定める一方で、作物ごとに、どのくらい農薬が残留するのかも調べる必要があります。散布された農薬は、大気中に蒸発したり、風雨で流されたり、光で分解するなどして徐々に減っていきますが、一部が収穫時の作物にも残っています。そこで最終的に作物中に含まれる農薬の濃度を調べる「作物残留試験」が行われます(気象条件により変動する可能性も考慮されます)。
そして、作物残留試験の結果から、①さまざまな食品を通じて摂取される農薬の総計がADIの8割を超えないこと、②個別の食品からの短期的な摂取量がARfDを超えないことを確認します。そのうえで、所定の使用方法を守って適正使用した場合に残留する農薬の最大濃度が「残留農薬基準」として設定されます※1。
さて、化学物質のリスク、農薬の安全性をテーマに3回にわたりお届けしてきました。関連情報として、農薬工業会が公開している動画「科学的データに裏付けられた農薬の安全性」もおすすめです。今回紹介した毒性試験のより詳しい種類や、いちごを例にした長期暴露評価と短期暴露評価の比較など、イラストと共にわかりやすく解説されています。ぜひご覧ください。
【参照先】
※1 農林水産省「農薬の基礎知識 詳細」
https://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_tisiki/tisiki.html#kiso3_3
※2 厚生労働省「残留農薬」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/zanryu/faq.html
※3 農薬工業会
「Q.許容一日摂取量(ADI)や急性参照用量(ARfD)とは何ですか。」
https://www.jcpa.or.jp/user/safety/qa94.html
「Q. 残留基準値はどのような考え方に基づいて設定されているのですか。」
https://www.jcpa.or.jp/qa/a6_01.html
※4 製品評価技術基盤機構「化学物質のリスク評価について-よりよく理解するために-2」
https://www.nite.go.jp/chem/shiryo/ra/about_ra2.html
※5 食品安全委員会季刊誌 「食品安全」第24号(2010年刊)食品中の化学物質の安全性
堀川 晃菜(ほりかわ あきな)
科学コミュニケーター、サイエンスライター 1986年生まれ。東京工業大学大学院 生命理工学研究科修了。農薬メーカーに勤務後、日本科学未来館 科学コミュニケーターに。その後、Webメディアの編集・記者を経て、現在はフリーランス。著書に『バイオ技術者・研究者になるには』(ぺりかん社)がある。
