時が変われば「顔」変わる―電池の歴史と市場【時代を支える電池の基礎知識 第1回】
2022/07/21
連載の目次
- 第1回 電池の歴史と市場
- 第2回 電池の基本、1次電池
- 第3回 自動車を支える2次電池
- 第4回 リチウムイオン2次電池
- 第5回 電気自動車と電池の将来
現代生活に電池は欠かせません。今日の情報化社会を支えているのは電池です。さらに、今後、続いていく「脱・二酸化炭素」の潮流の中で、電池はエネルギーの分野でも主役の座に近づいています。Chematelsの本連載「時代を支える電池の基礎知識」では、われわれの生活を支える電池について解説していきます。
電池の歩みは「ボルタ電池」から
電池は、電気を取り出して使うための道具です。最初に科学技術として認められたものは約300年前に発明されたボルタ電池でした。図1に示すように、銅を正極、亜鉛を負極に用いて、電極の間には希硫酸水溶液を満たしています。そして電極同士を電線でつなぐと電子が移動し、電流を取り出せるようにできています。

図1:ボルタ電池のしくみ
この原理には、金属の溶けやすさが関係しています。金属を硫酸水溶液に入れるとイオンとなって溶解しますが、溶解の際には電子を放出します。このときの電子の放出のしやすさはイオン化傾向といい、リチウム、カリウム、亜鉛、鉛、銅、銀、金の順となります。ボルタ電池では、亜鉛は銅より溶けやすい、つまり電子を放出しやすいので、負極となり、銅が正極となります。ボルタ電池以降、さまざまな電池が考案されました。
しかしながら、第2次世界大戦前は電池の有用性は知られながらも、電信や照明などに用途が限られており、大きな技術的な進展は見られませんでした。
乾電池から酸化銀ボタン電池へ―1次電池の進歩
戦後の復興期を支えたのはマンガン乾電池です。負極の亜鉛缶に、正極の二酸化マンガンを炭素集電体と一緒に入れ、電解液である塩化アンモニウムの水溶液を紙セパレーターに含ませた構造をしています。公称電圧は1.5Vで、トランジスタラジオや懐中電灯に使われていました。
1980年代に入り、多くの小型電子機器の登場により、電池市場が一変しました。デジタルカメラやCDなどでは集積回路が採用され、集積度の高まりに耐える省電力と信頼性が必要となります。そのようなニーズの中で、乾電池に代わる電池としてアルカリ電池や、酸化銀ボタン電池などが開発されました。これらの電池は時間経過しても電圧低下が少ない放電特性の点で優れており、マンガン電池の約2倍の容量を持っていました。
自動車の時代に対応―2次電池の進歩
1970年代から始まった自動車の普及とともに、自動車に用いられる2次電池も大きく変わっていきます。鉛蓄電池は、負極に鉛(Pb)、正極に二酸化鉛(PbO2)を用い、電解液として希硫酸を用いたものです。コストが安く、安全性にも優れていることから古くより採用されていました。鉛蓄電池は、充電と放電を繰り返すことが可能であり、“永久電池”と誤解される方もいますが、実際には充放電を繰り返すと、性能劣化が起きます。また、充電中には電解液である希硫酸中の水分が減少するので、電解液を定期的に補給する必要もあります。これらの課題解決のために密閉化技術が開発され、利便性が高められました。
さらに1990年以降、燃費改善の要求が高まり、エンジン性能の向上だけでなく、無駄に消費していたエネルギー回収にも目が向けられました。その結果、ブレーキ作動中に発生するエネルギーを電気として回収する回生エネルギーの技術が開発されました。この回生エネルギーは、ニッケル水素型電池を用いることで電気として蓄えられ、負荷の小さい状態で走行に利用消費されます。電池を用いることで、エネルギー消費の最適化が図られ、燃費の大幅改善につながったことは言うまでもありません。その結果、ハイブリッド自動車が幅広く受け入れられることとなりました。
リチウムイオン電池が新時代をリード
1991年、日本の吉野彰氏らによりリチウムイオン2次電池が開発されました。起電力が従来の2倍近くあり、小型電源として注目された2000年以降には「デジタル革命」ともいえる情報化時代に突入し、スマートフォンやノート型パソコンに向けた市場が一気に拡大しました。さらに2010年以降、地球温暖化問題の高まりを受けて電気自動車が開発され、さらに小型で出力の大きい2次電池のニーズが飛躍的に高まってきました。
1次はアルカリが主流に、2次はニッケル水素に伸び
電池市場を経済産業省の機械統計データから捉えると、2019年においては年間売上個数では38億8000万個、うち1次電池は24.2億個、2次電池は14.5億個となっています。また、売上金額で見ると、総額は8251億円で、1次電池が630億円、2次電池が7621億円です。
1986年からの個別電池の推移については、図2に1次電池の推移、また図3に2次電池の推移を示します。

図2:1次電池販売数量
(出所:電池工業会による電池販売個数の推移(1986-2020)統計データをもとに筆者作成)

図3:2次電池販売数量
(出所:電池工業会による電池販売個数の推移(1986-2020)統計データをもとに筆者作成)
数量で見ると、1次電池については、1980年代はマンガン電池が主流でしたが、2010年以降にはアルカリ電池に置き換わっていることが分かります。また、2次電池については1990年以降急速に数量を伸ばしましたが、ハイブリッド自動車の普及とともにニッケル水素電池が数量を伸ばしたことが分かります。
ちょっと、寄り道「エジソン電池
発明王のトーマス・エジソンはさまざまな発明をしてきましたが、電池にも足跡を残しています。記録としては1901(明治34)年、蓄電池の特許を日本に出願していたことが分かっています。
この蓄電池はアルカリ蓄電池の一種で、正極活物質にはニッケル、また負極活物質には鉄を用いています。蓄電池の用途は、鉄道の客車の照明に用いるものでしたが、それだけでなく、当時始まった自動車に組み込むことも想定していたようです。ただし、この蓄電池は構造的な欠陥を持ち、1年程度で容器が腐食して液漏れを起こしたので、改良を余儀なくされました。
1910年には改良した蓄電池が開発され、「A型蓄電池」として商品化されています。発明の天才は、電気自動車の到来も予測していたことが分かります。詳しくは「参考文献3」を参照してください。
次回テーマは、「電池の基本、1次電池」の予定です。
参考文献
1. 板子一隆・工藤嗣友『これだけ!電池』(2015年、秀和システム刊)
2.吉田和正「一次電池技術発展の系統化調査」(2007年発表)
3.櫻井孝『明治の特許維新』(2011年、発明協会刊)
中尾 眞(Makoto Nakao)/ SCE・Net
1948年生まれ。東京大学大学院化学工学修了。旭硝子(株)にて研究開発部、化学品営業部などに在籍し、イオン交換膜法食塩電解技術関連の開発・営業およびPEM燃料電池開発に従事。2006年より(公社)化学工学会SCE・Netの活動に参加し、現在代表幹事を務める。
