触媒による「塩素リサイクル」で経済と環境の両立へ―第54回日化協技術賞・総合賞 住友化学【受賞技術から見える未来社会】
2023/06/15
世界で毎年およそ9000万トン生産される塩素。その製造において1億トンを優に超える二酸化炭素が排出されています。この塩素を製造する際に発生する二酸化炭素排出量の大幅削減を可能とする技術を住友化学が開発しました。2021年度、「第54回日化協技術賞・総合賞」の対象となったこの技術の開発背景と未来社会への価値について、開発を担当した関航平さんと森康彦さんに話を伺いました。
「塩化水素から塩素にリサイクル」でCO2削減
塩素と聞くと、夏のプールサイドや漂白剤から漂ってくる独特な刺激臭を思い出す人が多いかもしれません。確かに、塩素は上下水道の殺菌・消毒や繊維製品の漂白などに使われています。しかし他にも、私たちの生活を支える塩化ビニル(塩ビ)やポリウレタンといった化学製品の製造や、化粧品・ペンキに使われる酸化チタンの製造など、さまざまな用途で広く利用されている素材でもあります。

図1:身近にある、塩素が関わるさまざまな製品
世界で年間およそ9000万トンの需要を誇る塩素の製造には、これまで主に食塩電解法と呼ばれる方法がとられてきました。これには多量の電気エネルギーを用いることから、塩素製造由来の二酸化炭素排出量は年間で1億トンを超えるほどにもなります。この課題解決に向けて成果をあげているのが、住友化学の開発した「低環境負荷の塩化水素酸化による塩素製造プロセス」です。これまで塩素を利用する際に副生物として出てきていた塩化水素を、改良を重ねた触媒を用いて効率的に塩素へリサイクルすることで、二酸化炭素の排出量を大幅に削減できるというものです。
「食塩電解だと1トンの塩素を作るのに二酸化炭素が2トンほど出てくる計算になります。それに対して弊社開発の方法を用いると、二酸化炭素排出量が0.1トン未満で済むので環境負荷がとても低いといえます」。触媒開発を担当した関さんはこう話します。独創性に富む点などが評価され、第54回日化協技術賞の総合賞を受賞することになりました。
「できっこない」を実現させた固定床プロセス
塩化水素の酸化による塩素製造に取り組む企業は他にもあるのですが、住友化学の用いたプロセスで他と大きく異なるのが「固定床」という手法を用いている点です。受賞した技術で用いられた反応器は、中に触媒を詰めた物干し竿のような細長いパイプ状の反応管が何千本、何万本と束ねられています。塩化水素を酸素と反応させるための触媒が、1本1本の反応管の中で文字通り「固定」されているのです。
一方、反応器の中で粉状の触媒を固定せず、常に舞い上がらせて混合させながら塩化水素と反応させる流動床という手法もあります。「これまでは流動床でしか実行できないと思われてきました。固定床では反応における熱や温度の制御がとても難しいからです。塩化水素の酸化に取り組む他社さんはどこも流動床を採用しています。しかし、流動床の反応器だと、反応器の中の温度を均一に保つことができる一方で変化をつけることができないことが問題となり、反応率を高く維持するのが難しいのです。そこで私たちは、固定床に挑戦することになりました」と、製造プロセス設計を担当した森さんは話します。
反応によって出てくる熱を上手に制御すべく、触媒を充填する厚さや充填する場所に応じた触媒の活性具合、さらにはガスを流すスピードを絶妙に調整していきました。ついには難しいとされていた固定床での塩化水素酸化プロセスを設計することに成功させます。
「固定床での安定した塩素製造に成功しているのは、いまのところ当社だけです」と森さんは胸を張ります。触媒の開発開始が1995年、森さんが全体プロセスの開発に携わり始めたのが1998年、そしてこの手法を用いた最初のプラントが稼働し始めたのが2003年のことでした。
「最初のライセンスプラント稼働から19年。2022年には10基のプラントで年間100万トン規模にまで拡大し、この手法で生産できるまでになりました」と関さんは振り返ります。

図2:固定床反応器のしくみ。この装置で約85% 以上の塩化水素を塩素にリサイクルできる。管の中には性質の違う触媒が層状に充填され、それぞれの層に対して異なる温度管理がされている。反応器で発生する熱は回収され、反応器に流入させるガスを温めるのに用いられる
(画像提供:住友化学)
貴金属Ru触媒の使用量6割減を実現
今回の受賞は手法の開発ではなく、開発以降続けてきた技術の改良に焦点が当たっています。特に触媒については試行錯誤を重ねてきました。
「触媒に使うルテニウム(Ru)はとても高価な貴金属なので、たくさん使うとそれだけ初期コストが上がってしまいます。ルテニウムの量をいかに減らせるかと改良を重ねた結果、いまでは触媒当たりの使用量を4割も削減できました。しかも触媒の寿命も1.5倍長くさせることで実質的なルテニウム使用量を6割削減することに成功したのです」と、関さんは胸を張ります。

図3:触媒の改良。改良前の従来触媒では、酸化チタンの基礎の上に酸化ルテニウム(Ruo2)の粒が乗っている。これまでは使用を続けると表面の酸化ルテニウムが肥大化(シンタリング)し、表面積が減少することで性能低下につながっていた。改良した触媒では、シリカ(SiO2)を用いた壁を作ることで性能低下を抑えている
(画像提供:住友化学)
狙っていた触媒の表面構造が実際に作れていることを確認できたのは2017年のことです。それから3年間が経った2020年、実証試験で寿命を保てていることが確かめられました。そこで、重ね続けた技術の改良を前面に出して賞に応募。見事、受賞に至ったのでした。
「気づき」が未来を築く技術につながる
森さんは、技術開発に取り組み始めた頃は社内でこの技術の評価が低かったのではないかと話します。「いまでこそ成功した話ができます。でも、やり始めた頃は社内から『どうしてそんなことやってるんだ』『本当にできると思っているのか』と思われていたのではないでしょうか。塩素や塩化水素は反応性のとても高い物質なので、すぐにさまざまなものを腐食させてしまいます。幾度となく実験を重ねることで状況を把握し、発生するトラブルに対して都度対策をとっては抑え込んできました。大小さまざまな失敗を重ねながら少しずつ仕上げて磨いてきた技術です」
一方、関さんは触媒の開発・改良についての「気づき」が大事だったと振り返ります。「たとえ小さくても、ちょっとおかしいなという現象をどこまで深く掘り下げられるかが重要です。これって変だよねと感じる部分には、人がなかなか思いつかないような現象が隠れているもの。これに気づけることが肝心です」
現在このプロセスで生産できている塩素の合計量は年間およそ100万トン。そのほとんどは塩化水素の回収が容易なイソシアネートというポリウレタン原料から副生するものです。塩素全体のマーケットから見れば1%程度ですが、それでも削減できる二酸化炭素量は中規模の火力発電所1基分に相当する200万トンほどにもなります。

表1:塩素製造法の比較。固定式床触媒酸化法では、他と比べて圧倒的にエネルギー量が少ないことが分かる
(資料提供:住友化学)
今後より重要となる経済と環境の両立を促進、触媒の進歩への期待も
受賞の対象となった技術を、未来の社会に向けてどう価値づけていくでしょうか。関さんは現在から未来にかけて、次のように見据えています。
「いまではイソシアネートのプラントに限らず、多くの方々に興味を示していただいています。いただくニーズや要望に私たちの技術がちゃんとマッチしているのか費用面と環境面の両方を精査しながらも、今後はこれまでと違う分野にぜひ足を伸ばしていきたいと思っています」
企業として経済性を重視しなればいけない一方で、環境負荷を抑えるという社会的役割も年々高まっています。この塩素リサイクル技術は、巨大な塩素マーケットにおいて環境負荷の低減と人間生活の豊かさ向上のどちらも両立させられる技術になりえるものです。住友化学の社員たちは今回の受賞をステップに、今後も触媒のさらなる改良やアプリケーション拡大を目指しています。
参考:住友化学の技術ライセンス関連のウェブサイト
Cl2|Hydrogen chloride oxidation process|Our Licenses|Sumitomo Chemical Technology Licensing(sumitomo-chem.co.jp)
https://www.sumitomo-chem.co.jp/technology-licensing/our-licenses/hcl/
一般社団法人日本化学工業協会(略称 日化協)は、優れた化学技術の開発や工業化によって化学産業ならびに経済社会の発展に寄与した事業者を表彰する「日化協技術賞」を設けています。1968年に創設されたこの賞では現在、化学に関連する事業者から業績を公募し、優れた業績に対して総合賞・技術特別賞・環境技術賞の3つの賞を贈り、表彰しています。
本田 隆行(ほんだ たかゆき)
科学コミュニケーター 神戸大学大学院 自然科学研究科 地球惑星科学専攻修了(理学修士) 。大学時代の専攻は地球惑星科学。大学院時代に探査機「はやぶさ」理学ミッションに携わる経験を持つ。その後、地方公務員事務職(枚方市役所)・国立科学館勤務を経て、国内でも稀有なフリーランスの科学コミュニケーターとして活動中。展示プランニングや科学実演の実施・監修、大学講師やイベントファシリテーター、サイエンスライティングなど様々な仕事をこなす。著書に「宇宙・天文で働く」(ぺりかん社)
